ryomaDNA

チラシのウラです。

05. 近江屋事件の諸説

見廻組今井信郎説

龍馬には寺田屋遭難で伏見奉行所の同心を殺傷した罪があり、京都守護職・松平容保の特命を受けた京都見廻組が捕縛に向かい殺害したとする説です。実行犯のひとりである今井信郎が、裁判にかけられ禁固刑を受けています。坂本龍馬暗殺の定説とされています。

《実行》

■ 京都見廻組
佐々木只三郎、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎

《黒幕》

■ 京都守護職・松平容保

《動機》

■ 伏見奉行所同心の殺傷

《論点》

■ 明治3年(1870年)、明治政府に捕縛された新選組の大石鍬次郎が「今井信郎ら見廻組による殺害」と証言した。

■ 明治3年(1870年)、見廻組隊士・今井信郎は兵部省・刑部省の取り調べに対し龍馬殺害を認め、審議の結果禁固刑を言い渡されている。

■ 明治33年(1900年)、「坂本龍馬殺害者 今井信郎実歴談」と題する今井信郎の告白が『近畿評論』に掲載された。ただし、これは今井がおおやけに公開したものではなく、結城礼一郎が甲斐新聞に掲載した取材記事の無断転載である。

■ 明治39年(1906年)、土佐藩士・谷干城が講演「坂本中岡暗殺事件」で今井説に反論し、「龍馬暗殺は、紀州藩が新選組をそそのかした犯行で、今井は売名の徒である」と主張した。

京都見廻組渡辺篤説

龍馬は徳川幕府の転覆をはかっており、京都見廻組与頭・佐々木只三郎の命により暗殺したとする説です。大正4年(1915年)に襲撃者のひとりと主張する渡辺篤が犯行を告白していますが、今井信郎の供述に名前が出てこない、後出しの情報公開であるため信ぴょう性には意見が分かれます。

《実行》

■ 京都見廻組
佐々木只三郎、渡辺篤、今井信郎、世良敏郎、ほか2人

《黒幕》

■ 京都見廻組与頭・佐々木只三郎

《動機》

■ 徳川幕府の転覆を計画

《論点》

■ 今井信郎の調書、告白記事の中に渡辺篤の名前は出てこない。渡辺吉太郎は別人である。

■ 事件現場に鞘を忘れたのは、世良敏郎である。

■ 渡辺篤は、明治13年(1880年)に『履歴書原本』を記録し、明治44年(1911年)に自伝『渡辺家由緒暦代系図履暦書』を執筆した。

■ 大正4年(1915年)、「阪本龍馬を殺害した老剣客 -悔恨の情に責られて逝く-」と題する渡辺篤の告白が『大阪朝日新聞』に掲載された。

新選組説

いろは丸事件で海援隊に巨額の損害賠償金を負わされた紀州藩が、新選組に依頼して暗殺したとする説です。反幕府勢力を弾圧した新選組に動機は十分あり、事件直後は有力な説とされ、海援隊・陸援隊士が紀州藩御用人の三浦休太郎を襲撃する天満屋事件がおきています。

《実行》

■ 新選組
原田左之助、ほか

《黒幕》

■ 紀州藩

《動機》

■ いろは丸事件の報復

《論点》

■ 土佐藩士・谷干城が調査した結果、遺留品の鞘と声音から「紀州藩の依頼を受けた新選組・原田左之助らの犯行である」と断定した。

■ 慶応3年(1868年)12月、海援隊・陸援隊士の一部が紀州藩の謀略であるとして御用人・三浦休太郎を襲撃。警護にあたっていた新選組がこれを撃退した。

■ 明治3年(1870年)、明治政府の尋問を受けた新選組の相馬肇、大石鍬次郎、横倉甚五郎らは龍馬暗殺への関与を否定した。

薩摩藩説

武力討幕を目指す薩摩藩が、大政奉還を画策した龍馬を謀殺したとする説です。西郷吉之助、大久保一蔵が黒幕にあげられ、実行は京都見廻組、御陵衛士、薩摩藩士・中村半次郎など諸説あります。

《実行》

■ 京都見廻組、御陵衛士など

《黒幕》

■ 薩摩藩

《動機》

■ 坂本龍馬の排斥

《論点》

■ 具体的な証拠・証言はないが、「薩摩藩は謀略を得意」「武力討幕と大政奉還の対立」を根拠とする陰謀論はおもしろく、映画・テレビなどでは好まれる。

■ 実行=京都見廻組では、「龍馬の居場所を、薩摩藩が見廻組に漏らした」とする。

■ 実行=御陵衛士では、「御陵衛士に龍馬を暗殺させたのち、庇護した彼らに偽証させ新選組の犯行とみせかけた」とする。

土佐藩説

土佐藩参政・後藤象二郎が、大政奉還の功績を独占するために暗殺したとする説です。また、いろは丸の賠償金をせしめるため、長崎貿易の利権を手に入れるために岩崎弥太郎がたくらんだという見方もあります。


▲ 一番上にもどる