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世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる

坂本龍馬年表 (四)

元治元年(1864年)30歳
2月-日 龍馬ら国元召喚の延期が認められず、再び脱藩する。(『維新土佐勤王史』)
2月10日 勝海舟に下関砲撃調停の長崎出張が命じられ、龍馬も従い同行する。(『海舟日記』)
2月13日 勝海舟一行、大風のため兵庫沖の翔鶴丸に乗船できず出港を順延する。(『海舟日記』)
2月14日 翔鶴丸に乗船、出帆する。(『海舟日記』)
2月15日 翔鶴丸、佐賀関に入港する。(『海舟日記』)
2月16日 勝海舟一行、陸路を鶴崎に向かう。(『海舟日記』)
2月17日 勝海舟一行、鶴崎から野津原に向かう。(『海舟日記』)
2月18日 勝海舟一行、野津原から久住に向かう。(『海舟日記』)
2月19日 勝海舟一行、久住から内牧に向かう。(『海舟日記』)
2月20日 勝海舟一行、内牧から熊本城に向かう。龍馬は沼山津の横井小楠のもとに派遣され、見舞いの金品を贈る。(『海舟日記』)
2月21日 勝海舟一行、熊本城下から長崎に向かう。(『海舟日記』)
2月22日 勝海舟一行、会津に宿泊する。(『海舟日記』)
2月23日 勝海舟一行、長崎に到着し福済寺を宿とする。(『海舟日記』)
4月4日 勝海舟一行、交渉が不調に終わり、長崎を出立し島原に向かう。(『海舟日記』)
4月5日 勝海舟一行、島原に到着する。(『海舟日記』)
4月6日 龍馬は再び横井小楠を訪れ、横井左平太・忠平と岩男内蔵允を海軍塾に連れ帰る。(『海舟日記』)
4月7日 勝海舟一行、島原から内牧に向かう。(『海舟日記』)
4月8日 勝海舟一行、内牧から久住に向かう。(『海舟日記』)
4月9日 勝海舟一行、久住から野津原に向かう。(『海舟日記』)
4月10日 勝海舟一行、野津原から佐賀関に向かう。(『海舟日記』)
4月11日 勝海舟一行、佐賀関を出帆し、兵庫へ向かう。(『海舟日記』)
4月12日 勝海舟一行、兵庫に到着する。(『海舟日記』)
5月29日 幕府、神戸海軍操練所建設の覚書を発する。(『続徳川実紀』)
5月-日 お龍(楢崎龍)と知り合う。(慶応元年9月9日付乙女・おやべ宛龍馬書簡)
6月1日 京都七条の宿屋扇岩にお龍を訪ね別盃し、翌朝より江戸へ向かう。(『千里駒後日譚』)
6月初旬 北添佶摩に京都からの脱出を説く。(『維新土佐勤王史』)
6月17日 乗船した黒龍丸、神戸から下田に入港する。(『海舟日記』)
7月19日 禁門の変。勝海舟とともに神戸から大坂に鶴光丸を回航し、淀川を上る。(『海舟日記』)
7月28日 翔鶴丸で神戸に帰る。(『海舟日記』)
8月1日 お龍と内祝言をあげるという。(『反魂香』)
8月3日 吉井幸輔とともに神戸から京都へ向かう。(『海舟日記』)
8月中旬 京都で西郷吉之助と面談する。(『大西郷全集』)
8月23日 神戸に帰り勝海舟に情勢を報告する。(『海舟日記』)
8月29日 川原塚茂太郎に養子の件に関する謝絶状を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 大坂を出立する。(同日付龍馬書簡)
9月15日 肥後藩士長谷川仁右衛門に使いを出し、16日に上京する旨を伝える。(『長谷川仁右衛門京都事情書』)
9月中旬 幕府、神戸操練所の姓名出所について内糺を行う。(『海舟日記』)
10月21日 勝海舟、江戸召還の命令を受け、龍馬らの身柄を薩摩藩に依頼する。(『維新土佐勤王史』)

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