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世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる

坂本龍馬年表 (六)

慶応二年(1866年)32歳
1月1日 印藤聿の紹介で長府藩士三吉慎蔵と出会う。(『三吉慎蔵日記』)
1月2日 引き続き三吉慎蔵と面談し、上京を決意する。(『三吉慎蔵日記』)
1月上旬 高杉晋作から送別の漢詩を贈られる。(同漢詩)
この頃 三吉慎蔵とともに京都に向けて出立する。(『三吉慎蔵日記』)
1月14日 上杉宋次郎(近藤長次郎)、英国密航の計画が露見して長崎で自刃する。(『海舟日記』)
1月16日 神戸に到着する。(『三吉慎蔵日記』)
1月17日 池内蔵太・新宮馬之助が加わり、通船で大坂に向かう。(『三吉慎蔵日記』)
1月18日 大坂薩摩藩邸に入る。(『三吉慎蔵日記』)
同夜 大久保一翁を訪問し、厳重手配の忠告を受ける。(『三吉慎蔵日記』)
1月19日 龍馬ら薩摩藩の船印を掲げて淀川を渡り、伏見寺田屋に宿泊する。(『三吉慎蔵日記』)
1月20日 三吉慎蔵を寺田屋に残し、池内蔵太・新宮馬之助を伴い入京する。(『三吉慎蔵日記』)
同日 西郷吉之助・木戸貫治(桂小五郎)と会談し、薩長和解締結を仲介する。
同日 池内蔵太の家族に手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
1月21日 西郷吉之助と木戸貫治の会談が成功したことを三吉慎蔵に伝える手紙を書く。(『三吉慎蔵日記』)
同日 伏見奉行所役人、寺田屋周辺の探索を行う。(『三吉慎蔵日記』)
1月22日 小松帯刀・西郷吉之助とともに木戸貫治の送別に出席する。(推定『坂本龍馬手帳摘要』)
同日 伏見奉行所役人、引き続き寺田屋周辺の探索を行う。(『三吉慎蔵日記』)
1月23日 夜になって京都から伏見寺田屋に戻る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
1月24日 未明に伏見奉行所役人の襲撃を受ける。負傷しながらも三吉慎蔵とともに脱出し、薩摩藩伏見藩邸に匿われる。(12月4日付権平等一同宛龍馬書簡)
1月30日 寺田屋を脱したお龍とともに京都薩摩藩邸に移り、西郷吉之助の庇護を受ける。(『三吉慎蔵日記』)
2月3日 印藤肇に寺田屋遭難事件を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
2月5日 木戸貫治が薩長同盟の内容を記した手紙に、朱書きの裏書きをする。(同日付文面)
2月6日 木戸貫治に寺田屋遭難事件を報告する手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
2月29日 お龍・三吉慎蔵とともに京都を出立し伏見に下る。(『三吉慎蔵日記』)
3月1日 伏見から大坂に下る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月-日 幕府批判の文書を記す。(『3月付書面』)
3月4日 薩摩藩船三邦丸に乗船する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月5日 三邦丸、大坂沖を出港する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月6日 三邦丸、下関に寄港する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月8日 三邦丸、長崎に寄港。龍馬はお龍とともに近藤長次郎の墓参りをする。(『維新土佐勤王史』)
3月10日 三邦丸、鹿児島に到着する。(『反魂香』)
3月16日 お龍を伴い日当山温泉に向かう。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月17日 塩浸温泉に到着する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月28日 湯治中の小松帯刀を見舞い、その後霧島温泉に宿泊する。(『小松帯刀日記』)
3月29日 霧島山に登り、霧島神宮に宿泊する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
3月30日 霧島温泉に戻る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
4月1日 塩浸温泉に戻る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
4月8日 日当山に戻る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
4月11日 浜之市に戻る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
4月12日 鹿児島に帰る。(『坂本龍馬手帳摘要』)
4月14日 開成所を訪れる。(『坂本龍馬手帳摘要』)
5月1日 ワイルウェフ号とともに長崎を出港したユニオン号(桜島丸)、長州藩の兵糧米を積んで鹿児島に入港する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
5月2日 ワイルウェフ号、五島列島中通島潮屋崎沖で座礁し、乗員の黒木小太郎・池内蔵太らが死亡する。(墓碑銘)
5月29日 西郷吉之助らと面談する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
同日 新宮馬之助から4両3分を借用する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
6月1日 お龍と桜島丸に乗船する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
6月4日 桜島丸、長崎に寄港。お龍を小曾根英四郎の別邸に預ける。(12月4日付龍馬書簡)
6月14日 桜島丸、下関に到着する。(『奇兵隊日記』)
同日 高杉晋作と面談し、幕府軍攻撃を依頼される。(『山縣公遺稿・こしのやまかぜ』)
6月15日頃 木戸貫治と面談し、桜島丸が搬送した兵糧米を社中に貰い受ける。(『維新土佐勤王史』)
6月16日 品川省吾の訪問を受けた後、高杉晋作と面談する。(『同日付品川省吾宛龍馬書簡』)
6月17日 乙丑丸(ユニオン号、桜島丸)、長州藩軍艦とともに小倉藩領門司浦を砲撃する。(『修訂防長回天史』)
6月20日 白石正一郎方で高杉晋作と面談する。(『白石正一郎日記摘要』)
6月25日 長州藩主毛利敬親に拝謁し、羅紗生地を拝領する。(『山口藩庁来訪他国人リスト』)
7月3日 小郡から下関に向かう。(『7月4日付木戸貫治宛龍馬書簡』)
7月4日 木戸貫治に下関到着を知らせる手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
7月27日 木戸貫治に幕府軍の動静を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
7月28日 三吉慎蔵に社中の窮状を伝えるとともに、大洲藩が五代才助に依頼して水夫と機関士の借用を申し入れ、これを了承したことを伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
8月13日 森玄道・伊藤助太夫に小曽根英四郎の身柄保全を依頼する手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
8月16日 三吉慎蔵に幕府が海峡封鎖を解いた旨を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 小曽根英四郎の身柄保全のため、入木屋重平の番頭・与平を下関に派遣する。(同日付龍馬書簡)
8月25日頃 越前藩士下山尚を訪ね面談する。(『西南紀行』)
8月下旬 越前藩士下山尚の訪問を受け時勢を談じる。(『西南紀行』)
10月3日 龍馬ら社中の7人、薩摩藩から給金を受領する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
10月22日 帆船購入のためプロシャ商人チョルチーと面談する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
10月23日 船の検分をする。(『坂本龍馬手帳摘要』)
10月24日 薩摩藩留守居役の汾陽五郎右衛門を訪ねる。(『坂本龍馬手帳摘要』)
10月28日 帆船を受け取り、大極丸と命名する。(『坂本龍馬手帳摘要』)
11月-日 五代才助・広沢真臣らと面談して「商社示談箇条書」を作成する。(『維新土佐勤王史』)
11月-日 溝渕広之丞と対面する。(12月4日付権平等一同宛龍馬書簡)
11月15日 溝渕広之丞に小銃購入の件を相談する。(12月16日付溝渕広之丞宛龍馬書簡)
11月16日 溝渕広之丞に小銃購入の依頼状を書き、「才谷梅太郎」の変名を使用する。(同日付龍馬書簡)
11月20日 寺田屋登勢にお龍の母親の面倒を依頼する手紙を書き、「取巻の抜六」と自称する。(同日付龍馬書簡)
12月4日 兄・権平に家宝の甲冑あるいは刀を求める手紙を、小曽根英四郎方で書く。(同日付龍馬書簡)
同日 兄・権平等一同にこの1年を回顧した手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 姉・乙女にお龍との結婚と新婚旅行を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
12月15日 伊藤助太夫方から木戸貫治に面談を求める手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
12月20日 伊藤助太夫に溝渕広之丞の長崎行の船便を依頼する手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
12月25日 いろは丸購入の責任をとって自刃した大洲藩士国島六左衛門の遺体と対面する。(『いろは丸終始顛末』)

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