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世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる

坂本龍馬年表 (七)

慶応三年(1867年)33歳
1月3日 木戸準一郎に伊藤助太夫方を定宿としている旨を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
1月5日 中岡慎太郎と面談する。(『行々筆記』)
1月6日 伊藤助太夫・森玄道に急使を送り京都情勢を伝え、それを三吉慎蔵に報告するように依頼する。(同日付龍馬書簡)
1月9日 下関を発ち長崎に向かう。(1月17日付龍馬書簡)
1月11日 長崎に到着する。(1月17日付龍馬書簡)
1月13日 松井周助・溝淵広之丞の仲介で後藤象二郎と面談する。(『土佐維新勤王史』)
1月14日 木戸準一郎に後藤象二郎との面談を報告し、「土佐国は一新の起歩」をみせたと伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
1月17日 伊藤助太夫に長崎到着の旨を役所に届けるよう依頼する。(同日付龍馬書簡)
1月20日頃 谷干城と面談する。(『谷干城遺稿』)
1月20日 姪・春猪に近況を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
1月22日 姉・乙女に門田為之助と面談したことを伝える手紙を書き、諱に「直柔」を用いる。(同日付龍馬書簡)
1月下旬 上野彦馬の写真館で肖像写真と集合写真を撮影する。(秦家蔵肖像写真添書)
2月上旬 会津藩家老神保修理と面談し、「高坂龍次郎」の変名を用いる。(2月18日付龍馬書簡)
2月7日頃 肥後熊本藩士荘村助右衛門と面談する。(2月6日付荘村助右衛門)
2月10日 お龍を伴い下関の伊藤助太夫方に戻る。(2月16日付龍馬書簡)
2月14日 河田左久馬に蝦夷地開拓を誘う手紙を書く。(3月14日付龍馬書簡)
2月16日 三吉慎蔵に後藤象二郎との面談を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
2月20日 大山格之助の訪問を受ける。(同日付龍馬書簡)
2月22日 三吉慎蔵に近時新聞と題して五箇条の情報を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
2月下旬 土佐藩、坂本龍馬と中岡慎太郎の脱藩罪赦免を決定する。(『慶応文書』)
3月6日 印藤聿に蝦夷地開拓、いろは丸についての手紙を書き、400両の借金を願い出る。(同日付龍馬書簡)
3月20日 下関に立ち寄った中岡慎太郎の訪問を受ける。(『行々筆記』)
同日 三吉慎蔵に近況を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
3月24日 姪・春猪にかんざしを送ることを約束した手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
4月6日 伊藤助太夫に借金600両を返済し、残額の延滞を依頼する。(同日付龍馬書簡)
4月7日 姉・乙女に金巾を送る旨の手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
4月8日 いろは丸、長崎港に入港する。(『いろは丸終始顛末』)
4月中旬 脱藩罪を赦免され、海援隊隊長に任命される。(『海援隊日史』)
同じ頃 「海援隊約規」が起草される。(『海援隊日史』)
4月中旬 伊藤助太夫方で森玄堂・印藤聿らと歌会を開く。(『反魂香』)
4月19日 海援隊乗船のいろは丸、銃器・弾薬・米・砂糖などを積み込み、長崎を出港する。(『航海日記附録草稿』)
同日 土佐商会主任岩崎弥太郎の訪問を受け、16人分の給金として100両、大坂行の餞別として50両を与えられる。(『公用日記』)
4月23日 いろは丸、讃岐箱ノ崎沖で紀伊藩船明光丸と衝突して沈没する。(4月28日付龍馬書簡)
4月24日 龍馬ら明光丸に移乗して鞆港に上陸する。(『航海日記附録草稿』)
同日 魚屋万蔵方で明光丸船将の高柳楠之助と談判を開始する。(『航海日記附録草稿』)
4月25日 魚屋万蔵方で談判を続行する。(『土州伊呂波一件留』)
4月26日 紀州藩士、早朝より龍馬を訪ねて談判を重ねる。(『航海日記附録草稿』)
4月27日 高柳楠之助、長崎での談判再開を約束して鞆港を発つ。(『伊呂波丸航海日記抜書』)
同日 寺田屋お登勢にお龍の妹・君江あての荷物を送り、望遠鏡・時計を送る旨の手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
4月28日 菅野覚兵衛・高松太郎に事件を報じる手紙を書き、航海日記の写しを添える。(同日付龍馬書簡)
4月29日 龍馬ら船便を得て鞆から下関に向かう。(『維新土佐勤王史』)
4月30日 龍馬一行、御手洗に入港して河田左久馬と出会い談笑する。(『河田左久馬備行ミちの記』)
5月4日 三吉慎蔵からいろは丸事件の見舞いを受ける。(5月5日付龍馬書簡)
5月5日 三吉慎蔵に見舞いの礼を書き、福田扇馬等の出崎に期待する旨を伝える。(同日付龍馬書簡)
5月7日 伊藤助太夫に後事を託す手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
5月8日 三吉慎蔵にお龍の身を託して下関を出港する。(同日付龍馬書簡)
5月10日 長崎に帰着する。(『思出艸』)
5月11日 秋山氏に「万国公法」の送付を依頼する。(同日付龍馬書簡)
5月13日 海援隊士、別便で長崎に到着する。(『航海日記附録草稿』)
同日 橋本麟之助を伴い高柳楠之助の宿を訪れる。(『維新土佐勤王史』)
同日 寺田屋にあてて手紙を書く。(推定。同日付龍馬書簡)
5月14日 荘村助右衛門と会談する。(推定。『改訂肥後藩国事史料』)
5月15日 紀州藩代表と会談し、航海日誌を提出し海路図を示す。(『紀土両艦衝突件応接書』)
5月17日 三吉慎蔵に土佐商会員を乗船させることを伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 伊藤助太夫にいろは丸事件の交渉が順調なことを伝える手紙を書く。(『同日付龍馬書簡』)
5月18日 大村藩士渡辺昇に手紙を書く。(推定。同日付龍馬書簡)
5月19日 腰越次郎を岩崎弥太郎のもとへ派遣し、給与不足分を受け取らせる。(『公用日記』)
5月21日 長岡謙吉を使いとして土佐商会から書籍等の引き渡しを願い出る。(『瓊浦日歴』)
5月22日 いろは丸事件の交渉が聖徳寺で再会される。(『紀土両艦衝突件応接書』)
同日 岩崎弥太郎から前日の願書が後藤象二郎に届けられた旨を知らされる。(『公用日記』)
同日 英国商人オールト宅で後藤象二郎・岩崎弥太郎と面談する。(『瓊浦日歴』)
5月26日 高柳楠之助と会談し、後藤象二郎とともに紀州藩代表の茂田市次郎を訪れる。(5月28日付龍馬書簡)
5月27日 お龍の弟・楢崎太一郎に高柳楠之助宛の手紙を持たせ、イギリス海軍提督との会談時間を指定する。(同日・5月28日付龍馬書簡)
同日 高柳楠之助からの返答に手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
5月28日 お龍に近況を報告し、下関に立ち寄れないことを詫びる手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 伊藤助太夫にいろは丸事件の談判大詰めを伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 伊藤助太夫に曽根拙蔵(小曽根清三郎)を下関へ派遣することを伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 伊藤助太夫に曽根拙蔵を下関商人や家老へ紹介するように依頼した手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 紀州藩、薩摩藩士五代才助に調停を依頼する。(『瓊浦日歴』)
同日 紀州藩士岡本覚十郎、高柳楠之助とともに龍馬襲撃に向かうが、龍馬不在のため断念する。(推定。『紀土両艦衝突件応接書』)
5月29日 いろは丸事件賠償額について、調査不十分を理由に五代才助への対応を保留する。(『瓊浦日歴』)
同日 小谷耕蔵・渡辺剛八にいろは丸事件の交渉成立を伝える手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
6月2日 いろは丸事件賠償について後藤象二郎・岩崎弥太郎と密談の上、大洲藩の大橋采女方を訪れる。(『公用日記』)
6月3日 後藤象二郎と面談し、小銃代価について五代才助方へ出かける。(『公用日記』)
同日 岩崎弥太郎を訪ねて「兼而余素心の在る所」を聞く。(『瓊浦日歴』)
6月5日 長州藩から売却依頼のあった銅の代価を受け取る。(『公用日記』)
6月6日 岩崎弥太郎とともに大洲藩士玉井俊次郎を訪れ、いろは丸船価について相談する。(『瓊浦日歴』)
6月9日 岩崎弥太郎から馬乗袴を贈られ、後藤象二郎と海路を京都に出立する。(『瓊浦日歴』)
6月10日 下関に寄港する。(『海援隊日史』)
同日 木戸準一郎に肥後藩士荘村助右衛門を紹介する手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
6月12日 兵庫に入港して大坂まで陸行する。(『海援隊日史』)
6月15日 京都「明保野亭」に中岡慎太郎を訪ねる。(『行々筆記』)
6月22日 薩摩藩の西郷吉之助・小松帯刀・大久保一蔵、土佐藩の後藤象二郎・福岡藤次・寺村左膳・真辺栄三郎、浪士代表の龍馬・中岡慎太郎が会談をおこない、「薩土盟約」が結ばれる。(『寺村左膳道成日記』)
6月23日 佐々木三四郎の招きで毛利恭助・中岡慎太郎とともに「カイ々堂」で面談する。(『保古飛呂比』)
6月24日 早朝から姉・乙女と姪・春猪に後藤象二郎との連携についての弁明、乙女の出奔願望を諭す手紙を書く。(同日付龍馬書簡)
同日 兄・権平に贈られた刀(陸奥守吉行)の礼といろは丸事件について報告する手紙を書く。(『同日付龍馬書簡』)
同日 この日の2通の手紙を届けるよう望月清平に依頼状を書く。(同日付龍馬書簡)
6月25日 中岡慎太郎とともに岩倉具視を訪ねる。(『岩倉具視関係文書』)
同日 薩摩・土佐・芸州藩において、王政復古のための「薩土芸三藩約定書」が結ばれる。(『坂本龍馬』)

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