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03. お仁王さま

坂本のお仁王さま

坂本龍馬を知るうえで、欠くことのできない女性がいます。「お仁王さま」のあだ名をもち、「龍馬よりも強い」といわれた三姉・乙女です。

3歳年上のこの姉は体が大きく、料理・裁縫は苦手でしたが、男勝りで剣術・馬術・弓術・水泳を得意としていました。さらに和歌や絵画をたしなみ、琴・三味線・一絃琴・舞踊・謡曲・浄瑠璃までこなす芸事に多趣味なひとでした。

龍馬は12歳で母親を亡くしたあと、この乙女の手によって育てられました。乙女は、夜中に龍馬をおこして寝小便を注意すると、朝には習字を学ばせ、「古今集」「新葉和歌集」などを読み聞かせました。午後は自ら竹刀をとって剣術を仕込み、彼を厳しく鍛えあげたといいます。

姉の世話になったことを、龍馬はのちのちまで感謝しており、「おれは若い時親に死別れてからはお乙女姉さんの世話になつて成長つたので親の恩より姉さんの恩が太い」(川田雪山『千里駒後日譚』第4回 土陽新聞、明治32年)と語っています。

弘松宣枝 『阪本龍馬』 民友社、明治29年(1896年)

彼の姉乙女は、丈高くして豊大、溌活にして撲実也。好んて勤王と云ひ、尊王と称し、行脚して天下を漫遊せんと企てたることあり。婦人らしき所なし。彼は彼の女を「お仁王」と云ひ、「天下第一の大あらくれ者」と評せり。「龍馬より強し」と賞むる者あり。或る人彼女を評して曰く、女装せる男子也と、適評と謂ふべし。

瑞山会編 『維新土佐勤王史』 冨山房、大正元年(1912年)

又其の三女を乙女と呼べるが、龍馬より長ぜること四歳、心も身も雄々しくて、坂本の「女仁王」の綽名つけられたり、偶ま龍馬が姉の浴衣を誤り着て出てしと云ふにても、其の身丈の弟に劣らぬを知るべく、乙女は短銃の音を好み、深夜に鷲尾山などの人なき処に上り、袖より短銃を取り出し、思ふがまゝに連発して、其の轟々たる反響にホホと打ち笑み立ち帰りしも、此の事は唯龍馬にのみ語りて、父母に知らしめざりしと、常に龍馬を励まして、之を奮励せしむること大方ならず、寧ろ龍馬が為めには一人の益友とも看做すべく、其の龍馬をして復た呉下の阿蒙にはあらざるよと人に云はしめしは、蓋し姉の力与りて多きに居る。

千頭清臣 『坂本龍馬』 博文館、大正3年(1914年)

乙女子は剛勇男子の如く真個女丈夫の態あり。常に好んで短銃を放ち、『八犬伝』『三国志』等を読む。されば時人は称して『坂本のお仁王さま』と呼び、『龍馬よりも強し』と謂へり。龍馬亦其の家信中に屡々『お仁王さま』『天下第一の大荒くれもの』などゝ称す。
龍馬は身の丈五尺八寸に余れる大兵なりしが、乙女子の骨格亦龍馬に劣らざりし者と見え一夕龍馬過ちて乙女子の衣を着け知らずして鏡川の納涼場に至り、傍人に数へられて漸く気付きし事なども有しといふ。
其の初め、乙女子他に嫁し、後ち家に帰れるは既に説く所の如し。其の家に帰るや、龍馬を愛撫して倦まず、怯を矯め、勇を励まし、以て其の性情を一変せしめたり。他日龍馬をして『どふぞ/\昔の鼻垂れと御笑ひ下さるまじく候』と自負せしめしもの、乙女子の感化与つて力あり。

坂本乙女
坂本乙女

【お仁王さま】
龍馬が乙女にあてた手紙(『慶応元年9月頃付龍馬書簡 坂本乙女宛』)の中に、「此龍がおにおふさまの御身をかしこみたふとむ所よくよくに思たまえ。乙大姉 をにおふさま」とある。

【龍馬より強い】
龍馬が乙女・おやべにあてた手紙(『慶応元年9月9日付龍馬書簡 坂本乙女・おやべ宛』)の中に、「乙大姉の名諸国ニあらハれおり候。龍馬よりつよいというひよふばんなり」とある。

【阪本龍馬】
弘松宣枝著。明治29年(1896年)に刊行された坂本龍馬の伝記。著者は坂本家とつながりがあり、龍馬の姉千鶴の長女茂の長男にあたる。

【維新土佐勤王史】
瑞山会編。大正元年(1912年)に刊行された土佐勤王党志士たちの活躍を記録した伝記。

【坂本龍馬】
千頭清臣著。大正3年(1914年)に刊行された坂本龍馬の伝記。

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