坂本龍馬逸話 四
龍馬は天下の人物
ある日のこと。坂本龍馬は武市半平太の自宅をたずねて密議を重ね、しばしば夜更けまで話し合いに及んでいた。これは武市の使命を受けて長州に旅立つ前のことである。龍馬は半平太夫人富子との遠縁に当たる。
妙な癖で龍馬は帰る時必ず武市邸の門内に放尿したので、そこが臭くなり鼻につくようになった。
これに富子は困り果て、その癖を直すよう龍馬を注意して欲しいと半平太に苦情を訴えた。これを聞いた半平太は「龍馬は天下の人物なれば、それ位のことは我慢せよ」と富子を諭したという。
僕の弱きが為に敗れたるのみ
文久2年(1862年)正月、坂本龍馬は武市半平太の使者として、長州萩の久坂久坂玄瑞のもとをたずねた。
萩滞在中に立ち寄った道場の若者が、龍馬が江戸北辰一刀流の使い手であることを知り、試合を求めてきた。龍馬は断ったが若者が聞き入れないので、止むを得ず立ち合うことになった。
ところが、龍馬は立ち会いにあっさりと負けてしまった。不思議に思った長州藩士が「あなたは、なぜ手を抜き本気を出さないのですか?」とたずねると、龍馬は笑って「否、僕の弱きが為に敗れたるのみ」と答えたという。
評される人も評される人、評する人も評する人
元治元年(1864年)8月頃、龍馬は勝海舟が賞賛する西郷吉之助に興味を抱き、「先生は、しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ってくるにより添え書きを下さい」と頼み、会う機会を得た。
薩摩藩邸から戻ってきた龍馬に、海舟が西郷の人物をたずねると、「なるほど西郷という奴はわからぬ奴だ。少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と答えた。
これを聞いた海舟は龍馬の西郷評に満足したようで、「坂本もなかなか鑑識のある奴だよ」と語り残している(『氷川清話』)。
