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坂本龍馬逸話 六

龍馬の最も偉大なる点

ある日のこと。坂本龍馬は後藤象二郎に「大政既に奉還せらるる。草莽志士の活動すべき幕は閉じられたり。何時死するも防げじ」と語った。

大政奉還は、表舞台は土佐藩主山内容堂と後藤の事業で、裏の根回し画策は龍馬の働きであり、龍馬は常に影武者となって尽力していた。

これを知る後藤は、「これが龍馬の最も偉大なる点だ。龍馬は『事は十ある内の八か九まで自分がそれを行うべきであり、残りの一、二は他人に譲るのが大事だ。そうでななければ、大業というものはできない』と語っていた。大政奉還のような大業においても、これを実践している」と称賛したという。

初めの働きこそ大事

佐々木高行の回想。
坂本龍馬は時として随分過激なことを言うが、本来は優しい男だ。老人・幼者・婦女等に対しては特に優しかった。

長崎に居た頃、時々部下の壮士を率いて酒楼に上がったが、女共はいつも「坂本さん、坂本さん」と言って慕っていた。

もっともこれは単に個人としての坂本の親切に対してだけでなく、坂本が居る時は、壮士らはあえて乱暴な振る舞いをないよう心がけていたので、坂本が来ることは女共に歓迎すべきことだった。

坂本は「我々は今、国事に奔走して幕府の指目する所となり居れば、何日何時縛に就くやも測られず。若し万一我々が芸妓風情と相携へて(写真を)撮影することありて、之により其踪跡を物色せらるるあらば、志士の面目として大に恥づべき業なれば、我々は断じて此の如き卑猥の行為あるべからず」と、彼は粗大豪放な様であったが、実は思慮の周密な人間であった。

それかと思うと、また龍馬は「人間は初めの働きこそ大事なれ。例えば軍のことに就いて言へば、初陣に大功を顕さば、何某は剛勇の士なりとの好評を博すべし。一たび好評を受けなば、其後の戦に於ては逃げても別に差なし」と言っていた。

世界の海援隊

大政奉還後、坂本龍馬は新政府人事の草案を書き上げ、京都薩摩藩邸に西郷吉之助をたずね、その一覧を見せた。

ところが、その一覧の中に龍馬の名前がなく、不審に思った西郷がその旨を問うと、「窮屈な役人にはなりたくない。世界の海援隊でもやりましょうかな」と笑って答えたという。

この時同席していた陸奥宗光は後に、「あのときは龍馬は西郷よりも、一回り大きな人物に思われたよ」と語ったという。

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