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坂本龍馬逸話 七

一命を捨てん

慶応3年(1867年)10月14日、坂本龍馬は大政奉還の成否を知るため、後藤象二郎から書簡が届くのを待っていた。しばらくして後藤より一通の書簡が届き、急いで開いて読むとそこには将軍徳川慶喜公は大政奉還に決心したと吉報が書かれていた。

龍馬がこの書簡を読み終えた頃、ちょうど中島信行がやって来て龍馬がホロホロと涙を流し普通でない様子を見て、悪い問題が発生したと思いその理由をたずねた。

龍馬は「先づ之を見よ」と後藤からの手紙を中島に渡した。言われるままに中島がこれを読むと、そこには同志一同の切望奔走した大政奉還の目的が達成されたことが書かれていた。

中島がこれは実に国家のために慶賀すべきことなのに、龍馬が涙を流しているのは何事だろうと思い理由をたずねた。

龍馬は「君能く考へ見るべし。何しろ歴世相継ぎ三百年の久きに渉りて握りたる政治の大権を、慶喜公の代となり、一朝一夕に之を返さねばなるぬ事に立到りたるは、公の立場よりすれば、其苦痛如何ばかりぞや。其心事誠に察し遣らるるなり。公既に此処に意あり。余は今後、公(慶喜)の為めに一命を抛って尽力し、其国家の為めに捧げられたる高義に酬ゆべし」と語ったという。

夢枕

明治37年(1904年)2月6日、皇后(照憲皇太后)が葉山御用邸で坂本龍馬の夢をみた。

夢の中で龍馬は、「微臣は、維新前、国事のために身を致したる南海の坂本龍馬と申す者に候。海軍のことは当時より熱心に心掛けたるところにござれば、このたび露国とのこと、身は亡き数に入り候えども魂魄は御国の海軍にとどまり、いささかの力を尽すべく候。勝敗のこと御安堵あらまほしく」と奏上した。

翌朝、皇后が香川敬三に「坂本龍馬とはいかなる人物か」と下問した。香川は土佐陸援隊に属していたので、龍馬を知っておりその経歴を申し上げたが、皇后はなぜそれをたずねたかは打ち明けなかった。

ところが、翌7日の夜の夢にも白装の武士があらわれたため、香川にその一件を明かした。香川も奇妙に思い東京の田中光顕に連絡し、田中はさっそく龍馬の写真を手に入れ、香川に送った。

香川は女官を通してその写真を皇后の部屋に置いておくと、皇后は香川を呼び「間違いなくこの人である」と言い、延臣一同が驚いたという。

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