困窮する商社経営、亀山社中解散の危機
亀山社中解散の危機
幕長戦争の後、長崎に引きあげた坂本龍馬は亀山社中の深刻な経営危機に直面していた。先にワイルウェフ号を失い、ユニオン号(桜島丸、乙丑丸)の運用権を長州藩海軍局に譲り渡したため、乗るべき船がなくなったのである。亀山社中は貿易を中心とした商社であり、船を失うことは死活に関わる大打撃であった。
さらに、長崎奉行がこの機に乗じて亀山社中に属する水夫に買収をしかけてきたので、龍馬は窮余の策として、実情を告げて社中を解散しようとした。しかし二、三の離脱はあったが、多くの者は死生を共にすることを主張し、解散に応じなかった。
この事態に窮した龍馬は、三吉慎蔵を通じて亀山社中を長府藩に身売りすることまで検討したが、薩摩藩士五代才助の周旋で大洲藩が購入した「いろは丸」に菅野覚兵衛、渡辺剛八、橋本久大夫ほか水夫3人を派遣し、乗り組ませることができた。
『慶応二年七月二十八日 三吉慎蔵宛』何も別ニ申上事なし。然ニ私共長崎へ帰りたれバ又のりかへ候船ハ出来ず水夫らに泣泣いとま出したれバ、皆泣泣に立チ出るも在り、いつ迄も死共に致さんと申者も在候。内チ外に出候もの両三人計ナリ。おおかたの人数ハ死まで何の地迄も同行と申出て候て、又こまりいりながら国につれ帰り申候。
幕の方よハ大ニ目おつけ、又長崎でも我々共ハ一戦争と存候うち、又幕吏ら金出しなどして、私水夫おつり出し候勢もあり候得共、中中たのもしきもの計ニて出行ものなし」今御藩海軍を開キ候得バ、此人数をうつしたれバと存候」
今朝伊予の大洲より屋鋪にかけ合がきて、水夫両三人、蒸気方三人計も当時の所、拝借とて私し人数を屋鋪より五大才助が頼にてさし出し候」
○木桂氏に手紙○
○わ長崎の近時のよふを承り記したり。
を送りけるが、是ハ極内内を以て御覧被成候得バ、極テたしかなるたよりにて山口に迄御送被成度。
慎蔵大人 龍
右七月廿八日
馬関商社計画
慶応2年(1866年)11月、龍馬は薩摩藩士五代才助と共に長崎から下関まで出向き、長州藩の木戸準一郎、広沢兵助、肥前藩の渡辺昇らと協議し、薩長合弁の「馬関商社」設立を計画した。
この商社の目的は、馬関海峡を封鎖し、海峡を通る北国船や九州船を下関で差し止め、仲介貿易をおこなうことで、龍馬はこの商社の一翼を担うことで亀山社中の存続をはかろうと考えていた。
また、馬関海峡は九州一円と西日本経済の中心である大坂を結ぶ重要な航路であり、ここを封鎖することによって大坂の経済的地位を低下させ、幕府から経済市場を奪うねらいもあり、次のような議定書が作成された。
『商社示談箇条書』議 定 書
一、商社盟誓之儀はお互の国名を顕はさず、商家の名号相唱可申候
一、社中之印鑑は互に取替置可申事
一、商社組合の上は互に出入帳を以て公明之算を顕し損益を半切すべき事
一、荷方船三四艘相備、薩船の名号にして国旗相立置可申候
一、馬関通商の儀は、何品を論ぜず上下共に可成差止め、譬へ不差通候て不叶船といへども改不済趣を以可成引揚置候儀、同商社の緊要なる眼目に候事
一、馬関通船相聞候節は日数二十五日前社中へ通信の事
龍馬はこの薩長合弁商社設立のため下関の伊藤助太夫方に下宿し、その居を「自然堂」と号して商務をとっていた。ところが、馬関海峡を封鎖する危険は長州藩にあり、その利益は折半する条項に長州藩が難色を示したため、馬関商社設立は立ち消えとなってしまった。
蝦夷開発計画
慶応2年(1866年)10月28日、龍馬は薩摩藩に掛け合い、その保証を受けてプロシア商人チョルチーから洋型帆船を船価1万2千両で購入した。この船は「大極丸」と命名され、念願の船を手に入れた龍馬は、蝦夷の資源開発をおこない、その資源を貿易することで利益を生みだす計画をたてた。
この計画は神戸海軍操練所時代から練っていたもので、当時勝海舟に対して、「幕府の黒龍丸に京摂の浪士200余人を乗せて蝦夷に送り、北方の防衛と開発に役立てる」ことを提案している。
龍馬は大極丸の船将に白峰駿馬、野村辰太郎を任命し、長崎から兵庫へと回航させた。そして物資の販売網を築くため、高松太郎と安岡金馬が大坂に派遣され、陸奥陽之助や山本洪堂らと共に大坂商人と交渉を重ねた。
だが、この蝦夷開発計画は大極丸の船価支払い遅延問題が生じたため、中断せざるをえなくなった。これは大極丸を購入する際の約定に、船価は亀山社中の責任において支払うことが取り決められていたからであった。
そこで、高松太郎が資金調達のため近江商人から1万両を借用する交渉をおこなったが取りまとめることができず、船価支払いの債務をおった亀山社中の経営はさらに悪化した。
結局、この船価支払いは慶応3年(1867年)4月に亀山社中が土佐藩の管轄となり、海援隊へと組織編成された時、後藤象二郎の指示により土佐商会が肩代わりすることになった。
『慶応三年四月初旬 坂本乙女宛』扨も扨も、御ものがたりの笑しさハ、じつにはらおつかみたり。秋の日よりのたとへ、もつともおもしろし笑しと拝し申候。私事かの浮木の亀と申ハ何やらはなのさきにまいさがりて、日のかげお見る事ができぬげな。此頃、みよふな岩に行かなぐり上りしが、ふと四方を見渡たして思ふニ、扨扨世の中と云ものハかきがら計である。人間と云ものハ世の中のかきがらの中ニすんでおるものであるわい、おかしおかし。めで度かしこ。
龍馬
乙姉様 御本
猶おばあさん、おなんさん、おとしさんの御哥ありがたく拝し申候、かしこ。
猶去年七千八百両でヒイヒイとこまりたれバ、薩州小松帯刀申人が出しくれ、神も仏もあるものニて御座候。
先日中、私の手本つがふあしく一万。五百両というものハなけれバならぬと心おつかいしニ、不計も藤藤庄次郎と申人が出し出しくれ候。此人ハ同志の中でもおもしろき人ニて候。かしこ。
