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坂本龍馬、脱走罪を許され海援隊長に就任

海援隊の構成

慶応3年(1867年)4月、坂本龍馬は脱藩の罪を許されると同時に海援隊長に任命された(『海援隊日史』)。海援隊は亀山社中を改編して組織され、隊士・水夫を合わせて総勢約50人、属する隊士を出身藩別にあげると次のようになる。

【土佐】
坂本龍馬(才谷梅太郎)  長岡謙吉(今井純正)
中島作太郎  沢村惣之丞(前河内愛之助)
新宮馬之助(寺内新左衛門)  千屋寅之助(菅野覚兵衛)
安岡金馬  高松太郎(多賀松太郎、坂本直)
野村辰太郎  石田英吉(伊吹周吉)
山本復輔  吉井源馬(小田小太郎)
【越前】
関義臣(山本龍二)  渡辺剛八
小谷耕蔵  腰越次郎
三上太郎  佐々木栄
【越後】
白峰駿馬  橋本久太夫
紀伊
陸奥陽之助(伊達小次郎)  
【讃岐】
佐柳高次(浦田運次郎)  

彼らはその志望とするところ、文官・武官・器械官・測量官・運用官・簿籌官(会計)・医官などに分かれていた。文官は長岡謙吉、器械官は腰越次郎、測量官は沢村惣之丞、陸奥陽之助、簿籌官は小曽根英四郎、医官は長岡謙吉、山本復輔、石田英吉が担当していた。

陸援隊は3ヶ月後の同年7月に京都白川村の土佐藩邸にいる浪士たちで組織された。隊長は中岡慎太郎がつとめ、参謀格に田中顕助、香川敬三があたった。

海援隊の規則

海援隊は創設と同時にその基本理念と規則を明文化した『海援隊約規』が作成された。

『弘松家所蔵』
海援隊約規
凡嘗テ本藩ヲ脱スル者及佗藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者此隊ニ入ル。
運輸、射利、開柘、投機、本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。
今後自他ニ論ナク其志ニ従テ撰テ入之。
凡隊中ノ事一切隊長ノ処分ニ任ス。敢テ或ハ違背スル勿レ。
若暴乱事ヲ破リ、妄謬害ヲ引ニ至テハ、隊長其死活ヲ制スルモ亦許ス。
凡隊中忠難相救ヒ困厄相護リ、義気相責条理相糺、若クハ独断果激、儕輩ノ妨ヲ成シ、若クハ儕輩相推シ、勢乗テ他人ノ妨ヲ為ス、是尤慎ム可キ所、敢テ或犯ス勿レ。
凡隊中修業分課、政法、火技、航海、汽機、語学等ノ如キ其志ニ随テ執之。互ニ相勉励敢テ或ハ懈ルコト勿レ。
凡隊中所費ノ銭糧、其ノ自営ノ功に取る。亦互ニ相分配シ私スル所アル勿レ。若挙事用度不足、或ハ学科欠乏ヲ致ストキハ隊長建議シ、出崎官ノ給弁ヲ竢ツ。
右五則ノ海援隊約規、交法簡易、何ゾ繁砕ヲ得ン。モト是翔天ノ鶴其ノ飛ブ所ニ任ス。豈樊中ノ物ナランヤ。今後海陸ヲ合セ号シテ翔天隊ト言ハン。亦究意此ノ意ヲ失スル勿レ。
皇慶応三丁卯四月

1.入隊条件と目的
土佐藩を脱する者、及び他藩を脱する者、海外に志のある者が、この隊に入る資格がある。運輸、営利活動、開拓、投機、土佐藩の応援を主業務とする。今後も異論がなければ、その志に従って入ることができる。

2.隊長の権限
隊中のことの一切は隊長の処分にまかせる。隊員は違反してはならない。もし、規約を破り、隊に害をもたらすようなことがあれば、隊長に生殺与奪の権を与える。

3.隊士の義務
隊中にあっては、互いに助け合い、困難を乗り越え、正義を重んじ、道理を正さなくてはならない。独断で過激に同志を妨げたり、徒党を組んで同志の妨げになるような行為は最も慎むべきことである。

4.隊士の学習内容
隊の修行内容は、政法、火技、航海、汽機、語学など自身の志に従って学ぶこと。互いに勉励し、怠けてはならない。

5.隊の経営方針
隊の経費は、隊の活動で得た収入でまかなう。また、利益は互いに分配し、私腹してはならない。もし、費用が不足し、あるいは学科に支障をきたすような時は、隊長が申し立て、長崎駐在の土佐藩役人の支給をまつこと。

海援隊は土佐藩の支援を受けてはいたが、原則は独立採算制であり、従来の藩制度の原理とは異なる関係を結んでいた。土佐藩は海援隊を藩の外郭組織として利用することを考え、龍馬は土佐藩に従属することでその運営を安定させようと考えていた。

その任務は諸国物産の購入ならびに運送、外国商人から物品を購入する際の周旋、土佐藩を海から応援することであり、同時に政治学・鉄砲術・航海術・語学を学ぶ場でもあった。

龍馬は海援隊のあり方として、「国を開くの道は、戦するものは戦い、修行するものは修行し、商法は商法で名にかえりみずやらねばならない」(『慶応三年五月五日 三吉慎蔵宛』)と説いている。

また出版事業にも着手しており、慶応3年(1867年)5月、キリスト教の勃興に対する仏教・神道の奮起をうながした『閑愁録』、慶応4年(1868年)3月に英語入門書の『和英通韻以呂波便覧』を出版した。

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