RYOMADNA

6. 鞘と下駄

遺留品にのこされた手がかり

坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた近江屋の現場には、襲撃者がのこしていったとされる《遺留品》が存在しました。発見されたのは、刀の鞘が1本と、下駄が2足でした。これらについては、尾張藩と鳥取藩の風説書に共通した記述が確認されています。

なかでも注目されるのは、刀の鞘の持ち主をめぐって、複数の証言や記録がのこされている点です。「渡辺吉太郎」「原田左之助」「世良敏郎」といった名があげられていますが、証言の出どころも立場もまちまちで、いずれも決定的な物証には至っていません。

一方、下駄については、「中村屋」と「噲々堂」の焼印があったことが記録されていますが、いずれも来客用の貸し下駄でした。そのため、実際に誰がはいていたのかは判明しておらず、下駄の使用者が襲撃犯本人であったかどうかについても、あきらかになっていません。

《尾張藩の記録より》
尾張藩の風説書『尾張藩雑記』によれば、坂本龍馬のもとに、9人ほどの刀を持った者たちが押し入り、龍馬を斬殺。現場には、「刀銵(つば)一つ」と「下駄二足」がのこされており、それぞれ祇園の「中村屋」と「下河原 ◯◯堂」の焼印がありました。また、祇園で遊んでいた土佐藩士らしき3人が、実は龍馬の仲間ではないかという噂もあり、真偽は不明とされています。

『尾張藩雑記 慶応三年ノ四』

土藩浪士頭齋谷梅太郎右方エ九人斗帯刀人這入リ梅太郎切害ニ及ビ其節残居候品、刀銵壱本ト下駄弐足、右下駄焼印有之、一足ハ二軒茶屋中村屋印、一足ハ下河原……堂印有之段々承様候処、祇園町永楽屋へ遊興ニ罷越候者三人ノ内、一人ハ土佐藩、二人は佐土原藩ノ良申立居候へ共、全ハ当時白川ニ旅宿罷在候坂本龍馬ノ徒党ノ者ノ良相聞候へ共、聢ト佐様ハ未相分、猶探索ノ上巨細申上ベク候。以上。十一月廿日。


[現代語・意訳]

土佐藩の浪士組の頭目である齋谷梅太郎(=坂本龍馬)のもとに、9人ほどの刀を帯びた者たちが押し入り、梅太郎を斬殺しました。そのとき現場に残されていた品は、刀の鍔(つば)1本と、下駄が2足。下駄には焼き印があり、一足には二軒茶屋「中村屋」の印が、もう一足には「下河原 ○○堂」の印がありました。これらを調べを進めたところ、祇園町の永楽屋で遊興していた者が3人おり、そのうちの1人は土佐藩士、2人は佐土原藩士であると申告していました。しかし、かれらは実のところ、白川に宿泊していた坂本龍馬の一派であるという噂も聞いております。ただし、その真偽はまだ明らかになっておらず、今後さらに調査を進めたうえで、詳しくご報告いたします。以上。11月20日。

《鳥取藩の記録より》
鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』によれば、11月16日夜、正体不明の8〜9人が近江屋に乱入し、龍馬らを斬殺。現場には「黒塗りの刀の鞘1本」と、「焼印付きの下駄2足」がのこされていました。一足には祇園の料理茶屋「中村屋」の印、もう一足には「噲々堂」の印がありました。しかし、いずれも来客用の貸し下駄であり、使用者の特定には至りませんでした。

『慶応丁卯筆記』

慶応三年十一月廿三日 鳥取藩記録 坂本龍馬、中岡慎太郎遭害ノ件筆記廿三
一、十一月十六日夜五ツ時分、河原町通四条上ル弐丁目西側土州屋敷前但シ同屋敷ノ横稲荷社ノ図子ヨリ行当リノ家醤油商近江屋新助方ニ(中略)何者共不分侍ヒ八九人計乱入、矢庭ニ二階へ抜刀ヲ振テ罷上リ三人エ切テ懸リ(中略)死骸夫々取片付候処、跡ニ残シ置候品左ニ
一、刀ノ鞘 壱本 但シ 黒塗
一、下駄 弐足 但シ 印付、内壱足ハ 噲 如此 焼印有之候由、内壱足ハ 中 如此 印有之由
右下駄壱足ハ祇園二軒茶屋之内、中村屋ト申、料理茶屋之由。今一足ハ河原町、噲々堂ト申、会席料理屋之貸下駄之由ニ候得共、多分之入込来客渡世之儀ニ付、何レ之者共不相分、恐らくハ同藩士之趣も難計様子ニ相聞、吟味中之由(中略)恐ラクハ右切害人ハ宮川ノ徒哉モ難計趣ニモ仄ニ相聞候由堅ク口外ヲ憚リ申候事。


[現代語・意訳]

一、11月16日の夜、五ツ時(午後8時)ごろ、河原町通四条上ル二丁目西側の土佐藩邸前、その横手にある稲荷神社の裏手の路地を進んだ突き当りの家、醤油商の近江屋・新助方において、(中略)正体不明の者たちおよそ8〜9人が突然乱入し、いきなり抜刀して2階へと駆けあがり、そこにいた三人に斬りかかりました。(中略)遺体はそれぞれ片づけられましたが、現場にのこされていた品々は次のとおりです。
一、刀の鞘 一本 黒塗り
一、下駄 二足 印付き、内一足には「噲」の焼印があり、もう一足には「中」という印がありました。
この下駄のうち一足は、祇園にある二軒茶屋のひとつ「中村屋」という料理茶屋のものでした。もう一足は河原町の「噲々堂」という会席料理屋が貸し出していたものでした。ただし、出入りする客が多いため、誰が使用していたかはわかりません。恐らくは土佐藩士ではないか、とも噂されていますが、はっきりしたことはわかっておらず、現在、調査中とのことです。これらの襲撃者たちは、宮川助五郎あたりの徒党ではないかとの噂もありますが、確かなことはわかっておらず、口を堅く閉ざしているとのことです。

《今井信郎の証言より》
『近畿評論第17号』に掲載された記事「坂本龍馬殺害者(今井信郎氏実歴談)」によれば、その晩、見廻組の渡辺吉太郎が置き忘れた鞘が紀州藩士のものに似ていたため、「三浦休太郎の仕業に違いない」とされました。後日、土佐藩士が三浦邸を襲撃しますが、近藤勇が居合わせてこれを撃退したため、以後、「犯人は三浦と近藤」との噂が広まりました。

「坂本龍馬殺害者(今井信郎氏実歴談)」『近畿評論第17号』

それに其晩渡辺が六畳へ鞘を置て返つて来ましたが、その鞘が能く紀州の士の差したる鞘に似て居りましたから、愈々是れは三浦の仕業に違ひないと云ふ事でした。暫くたつと果して土佐の若い者が三浦の家を襲ひました。すると其時丁度近藤(勇)が其処に居合せて、一所になつて追ひ帰しましたので愈々斬つたのは三浦と近藤だと云ふ風説が高くなりました。


[現代語・意訳]

それにその晩渡辺吉太郎が6畳に置き忘れてきた鞘が、紀州藩士の差している鞘に似ていましたから、いよいよ「これは三浦休太郎の仕業に違いない」ということでした。しばらく経って、土佐の若い者が、三浦の家を襲撃しました。そのとき、ちょうど近藤勇が居合わせて、一緒になって追い返しましたので、いよいよ「斬ったのは三浦と近藤だ」という風評が高くなりました。

《谷干城の講演より》
谷干城の講演によれば、現場にのこされた唯一の物証である刀の鞘をもとに、毛利恭助・中村半次郎とともに伏見の薩摩藩邸をおとずれ、元新選組の伊東甲子太郎一派に照会をおこないました。すると「原田左之助の鞘に間違いない」との証言が得られました。原田は斬り込み役として知られ、動きの俊敏さも現場の様子と一致していたことから、谷は襲撃犯は新選組と結論づけました。

「坂本中岡暗殺事件」『谷干城遺稿』

そこで一つの証拠が残つて居るのは刀の鞘がある。刀の鞘と云ふものを一つの証拠にそれから吟味してコナクソと云ふ言葉ともう宜いと云ふ言葉の外に、賊の残して行つたものは刀の鞘だけである。(中略)
そこで彼の斬残されの者等は、元々新選組に這入つて居つたものであるからして、刀に見覚えがあらうと云ふので、私と毛利とそれから彼の薩摩の中村半次郎と三人で、伏見の薩摩屋敷へ行つて、彼の甲子太郎の一類の者に会ふて、其の刀の鞘を見せた。所が此の二三人が評議して見て、是は原田佐之助の刀と思ふと……言出した。成程……此原田左之助といふのは腕前の男だ。新選組の中で先づ実行委員と云ふ理窟で人を斬りに行くには何時にても先に立つて行く。そこで私などがハア成程どうも其挙動と云ひ、如何にも武辺場数の者であらう。何しろ敏捷なやり方である。どうしてもそれに相違ないと云ふので最早一人は原田左之助其他、斬つた者ハ新選組の者に相違ないと云ふことにまあ決定して居る。


[現代語・意訳]

そこで、証拠としてただ一つ現場にのこされていたのが、刀の鞘である。この刀の鞘を手がかりに調べを進めたところ、「コナクソ」という言葉、そして「もうよい」という言葉のほかに、賊がのこしていったものは、この刀の鞘だけである。(中略)
そこで、あのとき(油小路事件)斬り残された者たちは、もともと新選組に所属していた者たちであるから、刀に見おぼえがあるはずだと考え、私(谷干城)と毛利恭助、そして薩摩の中村半次郎の3人で、伏見の薩摩藩邸へ出向き、伊東甲子太郎の一派にその刀の鞘を見せた。すると、そのうちの2、3人が評議し、「これは原田左之助の刀のものだと思う」と証言した。原田左之助という男は、剣の腕前のある者である。新選組のなかでも斬り込み隊長という立場にあり、人を斬りに行くときには、いつも先頭に立って出向くような存在だった。私もその証言を聞いて、「なるほど、たしかに賊の動きや立ちまわりを見るかぎり、まことに実戦の場数を踏んだ者だろう。何しろ素早いやり口である。どう考えても原田に違いない」と判断した。こうして、襲撃にくわわった1人は原田左之助であり、他の襲撃者も新選組の隊士に疑いはない、ということで結論は出ている。

《渡辺篤の証言より》
龍馬殺害の真犯人と名のり出た渡辺篤の証言によれば、刀の鞘を現場に置きわすれたのは、世良敏郎という人物。書物は多少読むものの武芸には不慣れで、剣術の鍛錬をおこたっていたため、息が上がって歩くことすら困難な有様でした。そのため、渡辺が世良の腕を肩にかけて支えながら、鞘を失った刀を袴の中に隠し入れさせて退却したといいます。

『渡辺家由緒暦代系図履暦書』

刀の鞘を忘れ残し返りしは世良敏郎と云人にて書物は少し読候へ共、武芸の余り無き者故鞘を残し返ると云不都合出来、帰途平素剣術を学ぶ事薄き故、呼吸相切れ歩みも難出来始末に依て、拙子世良の腕を肩に掛け鞘のなき刀を拙子の袴の中え竪に入て保護し連れ帰り候。


[現代語・意訳]

刀の鞘を忘れ残してきたのは、世良敏郎というもので書物は少し読むけれども武芸はあまり得意でないため、鞘を置き忘れる失態をおかした。日頃から剣術の鍛錬をしなかったこともあり、呼吸を切らし歩くこともできない始末であった。自分は世良の腕を肩にかけ、鞘のない刀を袴の中へ縦に隠し入れたまま連れ帰った。

《井口新之助の談話より》
井口新之助の談話によると、現場にのこされた遺留品は、下駄一足と刀の鞘のみでした。下駄には「瓢亭」の焼き印があり、新之助の父・近江屋新助が先斗町の瓢亭をたずねて確認したところ、「確かに当方の下駄であり、昨夜は新選組の方に貸した」との証言を得たといいます。

「井口新之助の談話」『坂本龍馬関係文書』

賊の遺留品とては、僅に下駄一足と、刀の鞘あるのみなりき。下駄には瓢亭の焼印ありき。瓢亭といへば、南禅寺と、先斗町の内なるべしと思ひ、新助は翌日(十六日)先斗町の瓢亭に至り「この下駄に見覚なきや」と尋ぬるに「如何にも、手前共の下駄なり」と答ふ、「さらばこの下駄を誰かに貸したる覚なきや」と問へば、「昨夜新選組の御方に貸しました」と答へぬ。


[現代語・意訳]

襲撃者の遺留品としては、わずかに下駄一足と刀の鞘のみであった。 その下駄には「瓢亭」の焼き印あり。瓢亭といえば、南禅寺か先斗町にある店であろうと考えた近江屋新助は、翌日(16日)、先斗町の瓢亭を訪れ、「この下駄に見覚えはありませんか」と尋ねた。
すると店の者は、「はい、確かに当方の下駄です」と答えた。「それでは、この下駄をどなたかに貸した覚えはありませんか」と重ねて問うと、「昨夜、新選組の方に貸しました」と答えたという。

「鞘」と「下駄」が語るもの

襲撃者が抜き身の刀を手にし、裸足の姿のままで逃走したとは考えにくいものの、これらの遺留品について複数の史料が一致する記録をしており、鞘と下駄が現場にのこされていたことは、事実と見てほぼ間違いないと考えられます。

しかしながら、これらの遺留品が襲撃犯のものであったかどうかについては、必ずしもあきらかではありません。

たとえば、鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』では、下駄について「商売がら客の出入りが多く、誰のものかは判然としない」と記しており、「近江屋にかけつけた土佐藩士のものである可能性もある」として、襲撃者と下駄を結びつけることを避けています。

また、事件後に調査にあたった土佐藩小目付の谷干城(たにたてき)も、現場の遺留品のうち下駄については一切言及せず、刀の鞘のみを物的証拠として取りあつかっています。この鞘について、谷の聞き取り調査では、旧御陵衛士から「新選組の十番隊組長・原田左之助のもので間違いない」とする証言が得られています。

原田左之助が伊予松山の出身であったことにくわえ、襲撃者が発したとされる「コナクソ」という言葉が四国方言であった点から、谷干城はこうした証言と状況証拠をふまえて、新選組による犯行と結論づけました。

ただし、この証言を提供したのは新選組と敵対していた御陵衛士の残党であり、証言以外に確実な物的証拠は確認されていません。

証拠品一 《鞘》

    1. 尾張藩の記録『尾張藩雑記』には、「刀銵壱本」と記されている。
    2. 鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』には、「刀ノ鞘 壱本 但シ 黒塗」と記されている。
    3. 元京都見廻組・今井信郎の談話筆記『今井信郎実歴談』には、「その晩、渡辺が六畳間に鞘を置いて帰ってきました(其晩渡辺が六畳へ鞘を置て返つて来ました)」とあり、渡辺吉太郎の鞘との証言がある。
    4. 元土佐藩士・谷干城の講演速記録『谷干城遺稿』には、「新選組十番隊組長・原田左之助の鞘と思う」との御陵衛士残党の証言が記録されており、、原田左之助の鞘との証言がある。
    5. 元京都見廻組・渡辺篤の手記『渡辺家由緒暦代系図履暦書』には、「刀の鞘を忘れて残していったのは、世良敏郎という人である(刀ノ鞘ヲ忘レ残シ返リシハ世良敏郎ト云人)」とあり、世良敏郎の鞘との証言がある。

証拠品二 《下駄》

    1. 尾張藩の記録『尾張藩雑記』には、「下駄弐足」とあり、焼印は《中村屋》と《◯◯堂》であったと記されている。
    2. 鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』には、「下駄 弐足 但シ 印付」とあり、焼印は《中村屋》と《噲々堂》であったと記されている。
    3. 『坂本龍馬関係文書』には、井口新之助の談話として「下駄には瓢亭の焼印ありき」と記されており、《瓢亭》の焼印があったことから、近江屋新助が確認したところ、新選組隊士に貸したものという証言を得たという。

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