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6. 鞘と下駄

のこされた遺留品

坂本龍馬、中岡慎太郎の暗殺現場には、刺客のものと思われる遺留品がのこされていました。刀の鞘が1本と、下駄が2足です。

『尾張藩雑記 慶応三年ノ四』

土藩浪士頭齋谷梅太郎右方エ九人斗帯刀人這入リ梅太郎切害ニ及ビ其節残居候品、刀銵壱本ト下駄弐足、右下駄焼印有之、一足ハ二軒茶屋中村屋印、一足ハ下河原……堂印有之段々承様候処、祇園町永楽屋へ遊興ニ罷越候者三人ノ内、一人ハ土佐藩、二人は佐土原藩ノ良申立居候へ共、全ハ当時白川ニ旅宿罷在候坂本龍馬ノ徒党ノ者ノ良相聞候へ共、聢ト佐様ハ未相分、猶探索ノ上巨細申上ベク候。以上。十一月廿日。

『慶応丁卯筆記』

慶応三年十一月廿三日 鳥取藩記録 坂本龍馬、中岡慎太郎遭害ノ件筆記廿三
一、十一月十六日夜五ツ時分、河原町通四条上ル弐丁目西側土州屋敷前但シ同屋敷ノ横稲荷社ノ図子ヨリ行当リノ家醤油商近江屋新助方ニ(中略)何者共不分侍ヒ八九人計乱入、矢庭ニ二階へ抜刀ヲ振テ罷上リ三人エ切テ懸リ(中略)死骸夫々取片付候処、跡ニ残シ置候品左ニ
一、刀ノ鞘 壱本 但シ 黒塗
一、下駄 弐足 但シ 印付、内壱足ハ 噲 如此 焼印有之候由、内壱足ハ 中 如此 印有之由
右下駄壱足ハ祇園二軒茶屋之内、中村屋ト申、料理茶屋之由。今一足ハ河原町、噲々堂ト申、会席料理屋之貸下駄之由ニ候得共、多分之入込来客渡世之儀ニ付、何レ之者共不相分、恐らくハ同藩士之趣も難計様子ニ相聞、吟味中之由(中略)恐ラクハ右切害人ハ宮川ノ徒哉モ難計趣ニモ仄ニ相聞候由堅ク口外ヲ憚リ申候事。

鞘は黒塗り。下駄には、祇園「中村屋」と下河原町「噲々(カイカイ)堂」の焼印が、それぞれおされていました。

刺客が逃走するさい、抜き身の刀に裸足の姿のままでいたとは考えにくいのですが、ことなる史料が記録している以上、ふたつの遺留品があったことは間違いありません。

ただし、鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』は、下駄について「商売がら客の出入りが多く、誰のものかわからない。近江屋にかけつけた土佐藩士のものかもしれない」と記述してあり、刺客と下駄をむすびつけてはいません。

事件後、刺客の捜査にあたった土佐藩小目付役の谷干城も、下駄の存在にはふれず、刀の鞘を物的証拠として聞き取りをおこなっています。

なお、鞘については、御陵衛士が「新選組の原田左之助のものに相違ない」と証言しており、持ち主が判明しました。

原田の出身は伊予松山で、刺客が発した「コナクソ」は四国のことばであることから、刺客のひとりに違いないとして、新選組の犯行と断定されました。

証拠品 《鞘》

    1. 尾張藩の記録『尾張藩雑記』に「刀銵壱本」とある。
    2. 鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』に「刀ノ鞘 壱本 但シ 黒塗」とある。
    3. 元京都見廻組・今井信郎の談話筆記『今井信郎実歴談』に「其晩渡辺が六畳へ鞘を置て返つて来ました」とあり、渡辺吉太郎の鞘との証言がある。
    4. 元土佐藩士・谷干城の講演速記録『谷干城遺稿』に「新選組十番隊組長・原田左之助の鞘と思う」とあり、原田左之助の鞘との証言がある。
    5. 元京都見廻組・渡辺篤の手記『渡辺家由緒暦代系図履暦書』に「刀ノ鞘ヲ忘レ残シ返リシハ世良敏郎ト云人」とあり、世良敏郎の鞘との証言がある。

証拠品 《下駄》

    1. 尾張藩の記録『尾張藩雑記』に「下駄弐足」とあり、“中村屋”と“……堂”の焼印があった。
    2. 鳥取藩の記録『慶応丁卯筆記』に「下駄 弐足 但シ 印付」とあり、“中村屋”と“噲々堂”の焼印があった。
    3. 『坂本龍馬関係文書』に近江屋新之助の談話として「下駄には瓢亭の焼印ありき」とあり、新選組隊士に貸したものという証言を得たとある。

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