8. 近江屋事件の諸説
2024年01月16日
2000年01月02日
京都見廻組・今井信郎説とは
坂本龍馬には寺田屋遭難のときに伏見奉行所の同心を殺傷した罪があり、京都守護職・松平容保の特命を受けた京都見廻組が捕縛にむかい殺害したとする説。襲撃者のひとりとして京都見廻組の今井信郎が関与をみとめ、裁判の結果、禁固刑を科せられています。
- 【実行犯】
- 京都見廻組
佐々木只三郎、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎
- 京都見廻組
- 【黒幕】
- 京都守護職・松平容保
- 【目的】
- 奉行所の同心を殺傷しているため捕縛
- 【論点】
- 明治3年(1870年)、明治政府に捕縛された新選組の大石鍬次郎が、兵部省・刑部省の取り調べに対し、「龍馬暗殺は、今井信郎ら京都見廻組の仕業」と証言している。一度は新選組の犯行と自供としたが拷問をのがれるためと、のちに撤回。
- 明治3年(1870年)、明治政府に捕縛された京都見廻組の今井信郎は、兵部省・刑部省の取り調べに対して龍馬殺害への関与をみとめ、禁固刑に科せられている。
- 明治33年(1900年)、『近畿評論』に「坂本龍馬殺害者 今井信郎実歴談」と題する今井信郎の告白記事が掲載される。今井自らが公表したものではなく、友人の息子・結城礼一郎に話した世間話が地方紙の記事となり、これが無断転載されたもの。
- 明治39年(1906年)、元土佐藩士・谷干城は、講演「坂本中岡暗殺事件」のなかで今井信郎の見廻組説に反論し、龍馬暗殺は「紀州藩が新選組をそそのかした犯行である」と主張した。
京都見廻組・渡辺篤説とは
坂本龍馬は徳川幕府の転覆をはかる暴徒であり、京都見廻組与頭・佐々木只三郎の判断により殺害したとする説。襲撃者のひとりと称する渡辺篤が犯行を告白しています。ただし、今井信郎の供述に名前が出てこないうえ、後出しの情報のため信ぴょう性が疑われています。
- 【実行犯】
- 京都見廻組
佐々木只三郎、渡辺篤、今井信郎、世良敏郎、ほか2人
- 京都見廻組
- 【黒幕】
- 京都見廻組与頭・佐々木只三郎
- 【目的】
- 徳川幕府転覆を計画したため殺害
- 【論点】
- 明治3年(1870年)の今井信郎の自白調書、明治33年(1900年)の告白記事のなかに渡辺篤の名前は出てこない。姓は同じだが、渡辺吉太郎は別人である。
- 渡辺篤は、明治13年(1880年)に手記『履歴書原本』を記録、明治44年(1911年)に自伝『渡辺家由緒暦代系図履暦書』を執筆している。
- 大正4年(1915年)、大阪朝日新聞に「阪本龍馬を殺害した老剣客 -悔恨の情に責られて逝く-」と題する渡辺篤の告白が掲載された。
- 遺留品である鞘の持ち主について、今井信郎が渡辺吉太郎のものと証言しているのに対し、渡辺篤は世良敏郎であるとしている。
新選組説とは
紀州藩は、いろは丸号事件で海援隊に巨額の賠償金支払いを負わされており、その報復として三浦休太郎が新選組をうごかし坂本龍馬を殺害したとする説。紀州藩に経済的動機があり、実行犯とみられた新選組は反幕府勢力を弾圧していたことから、事件の直後は有力視されていました。
- 【実行犯】
- 新選組
原田左之助、ほか
- 新選組
- 【黒幕】
- 紀州藩御用人・三浦休太郎
- 【目的】
- いろは丸事件で海援隊に巨額の賠償金支払いを負わされた報復として殺害
- 【論点】
- 土佐藩士の谷干城が事件を調査した結果、現場遺留品の鞘と中岡慎太郎がきいたという声音から、「紀州藩の依頼を受けた新選組・原田左之助らの犯行である」と結論づけている。
- 慶応3年(1867年)11月、大目付・永井尚志が、新選組局長の近藤勇を呼び出して龍馬暗殺に関する取り調べをおこなっている。近藤は関与を否定。
- 慶応3年(1868年)12月、海援隊・陸援隊士の一部が、紀州藩の謀略であるとして紀州藩士・三浦休太郎を襲撃。警護にあたっていた新選組が撃退しているが、事件に関与した疑いを強くさせた。
- 明治3年(1870年)、明治政府の取り調べを受けた新選組隊士の大石鍬次郎、相馬肇、横倉甚五郎らは、龍馬暗殺への関与を一様に否定している。
薩摩藩陰謀説とは
武力討幕を目指す薩摩藩が、その障害となる大政奉還を画策した坂本龍馬を謀殺したとする説。黒幕に西郷吉之助、大久保一蔵があげられ、実行犯は京都見廻組、御陵衛士、薩摩藩士の中村半次郎など諸説あります。
- 【実行犯】
- 京都見廻組、御陵衛士、薩摩藩士・中村半次郎
- 【黒幕】
- 薩摩藩
- 【動機】
- 大政奉還を画策し、武力討幕の邪魔となった坂本龍馬の排除
- 【論点】
- 薩摩藩の関与をしめす具体的な証拠・証言はない。
- 実行犯=京都見廻組では、薩摩藩が京都見廻組に龍馬の居場所を漏らし暗殺を実行させたとする。
- 実行犯=御陵衛士では、新選組から分離した御陵衛士(伊東甲子太郎一派)を保護するかわりに龍馬を暗殺させ、のちかれらに「遺留品の鞘は新選組隊士・原田左之助のものと相違ない」と偽証させたとする。
土佐藩内部抗争説とは
大政奉還の功績を独り占めしようとした土佐藩参政・後藤象二郎が、発案者の坂本龍馬を謀殺したとする説。そのほか、武力討幕派が台頭してきたため、公武合体を推進していた龍馬を排斥したとする説。いろは丸号の賠償金をせしめ、長崎貿易の利権を独占するために岩崎弥太郎が暗殺を画策したとする説もあります。