RYOMADNA

2. 剣とピストルと龍馬

流派! 小栗流!! , 北辰一刀流 !!

坂本龍馬は、青年期に「小栗流」および「北辰一刀流」という2つの流派に身を置き、剣術を学んだ。いずれにおいても皆伝書を受けており、かなりの腕前であったことがわかる。

龍馬が最初に学んだのは小栗流で、高知城下の剣術家・日根野弁治に師事した。現在までに実物の存在が確認されている伝書は、次の3点である。

■ 小栗流和兵法事目録
■ 小栗流和兵法十二箇條並二十五箇條
■ 小栗流和兵法三箇條

北辰一刀流は、龍馬が江戸へ出たさい、京橋桶町にあった千葉定吉の道場で修行した剣術流派である。伝えられている伝書としては、次の名称が知られている。

■ 北辰一刀流長刀兵法目録
■ 北辰一刀流兵法箇条目録(焼失)
■ 北辰一刀流兵法皆伝(焼失)

ただし、『北辰一刀流兵法箇条目録』および『北辰一刀流兵法皆伝』は現存しておらず、明治43年(1910年)に作成された遺品預かり書に、その名称が記されているにとどまる。

このため、龍馬が北辰一刀流において正式な意味での「免許皆伝」を受けたかどうかは断定できず、一定の修業到達を示す儀礼的・象徴的な意味合いを持つ「相伝状」の一種とも考えられている。

兄の賜・陸奥守吉行

坂本龍馬は刀剣の愛好家であり、龍馬自身やその周囲の人びとの書簡をたどると、生涯に少なくとも十数振の刀を所持していたと考えられる。そのなかでも、とりわけ名が知られているのが、近江屋事件の当夜にも帯びていたという「陸奥守吉行」である。

陸奥守吉行0
坂本龍馬遭難時の佩刀
陸奥守吉行
陸奥守吉行(京都国立博物館所蔵)

この陸奥守吉行は、龍馬が兄・権平から拝領した刀である。慶応2年(1866年)12月4日の手紙のなかで、「国家の難に臨む際には、家宝の兜や刀剣を分け与えられるものだと、古くから言われている。どうか家宝の品を、私にもお与えください」と、家宝を分け与えてほしいと願い出ている。

『慶応2年12月4日付坂本権平宛 龍馬書簡』

此頃願上度事ハ古人も在云、国家難ニのぞむの際ニハ必、家宝の甲を分チ、又ハ宝刀をわかちなど致し候事。何卒御ぼしめしニ相叶あいかない候品、何なり共被遣候得バ、死候時も猶御側ニ在之候思在之候。何卒御願申上候。

権平はこの願いに応えたが、当時の龍馬は土佐藩を脱藩した身であり、本人と直接連絡を取ることは容易ではなく、はばかられる状況にあった。そこで、土佐藩主・山内容堂に面会するため来藩していた西郷吉之助にこの刀を託し、その手を通じて龍馬のもとへ届けられた。

龍馬はこれを大いに喜び、慶応3年(1867年)6月24日付の兄・権平に宛てた手紙のなかで、次のように書き残している。

「さて、先ごろ西郷から受け取った吉行の刀ですが、京へ出るさいには常に身につけております。京の刀剣家にも見せたところ、皆が粟田口忠綱ほどの出来だと目利きしました。このごろ、京へ出てきた毛利荒次郎が、この刀をしきりに欲しがりますが、兄さんから頂いた刀と思うと、誇らしく感じます」

『慶応3年6月24日付坂本権平宛 龍馬書簡』

然ニ先頃西郷より御送被遣候吉行の刀、此頃出京ニも常帯仕候。京地の刀剣家ニも見セ候所、皆粟田口忠綱位の目利仕候。此頃毛利荒次郎出京ニて此刀を見てしきりにほしがり、私しも兄の賜なりとてホコリ候事ニて御座候。

ちなみに粟田口忠綱は、大坂新刀を代表する刀工で、位列でも上位にあたる上々作とされていた。それに対し、陸奥守吉行の評価は、中作に位置づけられた。龍馬は佩刀の吉行が、忠綱と見まがうほどの出来だと評されたことを素直に喜んでいたのである。

龍馬の死後、陸奥守吉行は、北海道に移住した坂本家の子孫に伝えられていたが、1931年に京都国立博物館へ寄贈された。もっとも、根本には「吉行」の銘が刻まれていたものの、刀身にはほとんど反りがなく、刃文も吉行の作風とは異なって見えた。

そのため、龍馬が近江屋事件のさいに携えていた陸奥守吉行そのものかどうか、疑問視する声もあった。

ところが2015年、高知県立坂本龍馬記念館で、寄贈の経緯を記した資料が発見された。それによると、この刀は1913年に釧路市で起きた火事により被災し、熱の影響で反りが伸び、刃文も失われていたので、研ぎ直されていたという。

さらに、京都国立博物館による最新機器を用いた調査の結果、直刃のように見える刃文とは別に、刀身の下からは吉行の特徴的な刃文の痕跡が確認された。こうした資料と科学調査の結果を踏まえ、この刀は龍馬が近江屋事件のさいに携えていた陸奥守吉行であると判断されている。

スミス&ウェッソン モデル2

坂本龍馬が寺田屋事件で使用したとされる銃は、「スミス&ウェッソン モデル2(Smith & Wesson Model 2)」という、米国スミス・アンド・ウエッソン社製の32口径、6連発の回転式拳銃である。

この銃は、長州藩の高杉晋作が上海滞在中に購入し、薩長同盟の成立に向かって奔走していた龍馬に贈ったものである。龍馬自身の手紙にも、「彼高杉より被送候ピストール」(『慶応2年2月6日付桂小五郎宛 龍馬書簡』)との記述があり、その由来を確認することができる。

スミス&ウェッソン モデル2
スミス&ウェッソン モデル2(NRAより)

 TOP